歴史

歴史を学ぶ

歴史を学ぶ意味って何だろう?

「歴史は過去。過去は取り戻せない。
 終わったことだ。大切なのは未来!」

ごもっとも。
間違っちゃいない。

過去を振り返っている暇はない。
歴史を学んだところで何になる。
我々にとって大切なのは未来だ。

というわけで、未来に向けての準備をしよう。
幸福になるための準備だ。

っと待てよ、未来ってどんな感じだ?
どんな準備をすればいい?

少し不安だ。

まぁ、でも心配ない。

未来の世界では、現代よりもはるかに科学が進歩していて、より便利な世の中になっている。
貧困は過去の遺物。人類はより豊かになっている。
地球環境は悪くなっているかもしれないが、たぶん科学の力が何とかしてくれる。
だから心配なんていらない。

人類は進歩している。
人類の未来は明るい。

歴史を振り返る必要なんてない。
未来への準備も必要ない。

なぜなら、人類の幸福はすでに約束されているのだから。


さて、未来の世界において人類の幸福が約束されていることはわかったが、念のため過去がどうであったかも見てみよう。

どれどれ・・・


なんと!今の世界とは比べ物にならないくらい貧しくて不便だ。
一部の富裕層を除いて、人々にはあらゆる物が不足している。

欲しいものが1クリックで届かない。
2クリックすればなんとか・・・

いや、スマホはおろかパソコンすらない。

そもそもインターネットが存在しない。

りんご?
りんごは食べられるが、そんな贅沢品がおいそれとあるわけではない。

流行り病。悪夢だ。
しかし、神は我々を見捨てない。祈るのだ。
それが救いへの唯一絶対の道・・・

何?道はほかにもある?
そんなもの、あるわけないがない。

ggrks?

なんだそれは?
神への祈りの言葉か?

顔本?
ちょっと何言っているかわからない。

ああ、この世は苦難に満ち溢れている。
神よ、どうが天国への道を、我に示し給へ・・・


と、このように、過去は現代と比べて不幸な出来事や不便が多かったかもしれない。

しかし、我々は過去から学び、進歩してきた。

現代世界はこんなにも豊かだ。
まだまだ完璧ではないが、幸福と物に満ち溢れている。

欲しいものは、それがたとえ地球の裏側にあったとしても手に入れられる。
あなたが片時も手放そうとしない、その美しいデザインの端末 iPhone で。

インターネット上では世界中の誰とでも繋がれる。
Facebookアプリを立ち上げれば、幼少のころに遊んだっきりで何年も会っていない友人といとも簡単に再会できる。
別れた彼氏(彼女)のストーキングだって可能だ(おすすめはしない)。
孤独なんて存在しない。

知りたいことはGoogle先生がなんでも教えてくれる。

何と満たされた世界。
これこそまさに人類が求めた世界、そしてこれからも求め続けていく世界の姿だ。

しかし、何故だろう。

幸せな世界、満たされた世界。

科学はより進歩し、より幸福に、より便利な世界を作り上げてきた。

知識だって蓄えてきた。
知の体系は脈々と受け継がれてきたはずだ。

にも関わらず、何故だろう。

まだ、自らの命を絶つ人々がいる。
人々の命を奪う、狂気の集団行為を匂わせる情報が流布している。
単純で幼稚で無知なカテゴライズによる差別が存在する。

おかしい。

もう食料不足に困ることはない。
餓死することなんてあり得ない。
治る病気も多い。
ガンだって不治の病でなくなるかもしれない。
銃弾の雨を掻い潜る恐怖に怯える心配も無さそうだ。

それにも関わらず、なぜ人は自ら死を選ぶ?
なぜ人の命を奪う?

死を論ずるのは極端かもしれない。

不幸な事故は当然起こりえるが、我々の死に対する恐怖心や距離感は、過去のそれと比べて明らかに遠ざかっているはずだ(死後の世界は消滅してしまったが)。

死を可能な限り遠ざけることができれば、幸福は約束されたも同然ではないのか?
もしそうであるならば、なぜ我々は日々の生活に不安と孤独を感じ、人生について考えることに憔悴しきっている?

世界は、確実に幸福への道を歩んできたのではなかったのか?
科学の進歩は、我々の幸せに対する欲求に漏れなく応えてくれるのではなかったのか?
あらゆる不幸や困難から我々を逃がしてくれたのではなかったのか?

何が間違っている?
未来は、本当にこのまま良くなっていくのか?


どうやら、未来の世界において人類があらゆる不幸と困難を振り切り、幸福で満たされるという絶対的な保証は無いらしい。

当然、現代の世界においても全人類の幸福は保証されていない。

人類は過去から学び、進歩し続けてきた。
主観的ではあるが、未来が過去より良くなったという実例は枚挙にいとまがない。

しかし、過去から学び反省するだけだけではどうにもなっていないことがあまりにも多い。

もしかして、過去に何が起こったかを知るだけでは不十分なのではないか?
歴史を学ぶということは、過去に起こった失敗を知り、それを繰り返さないということではないのか?

察するに、それだけでは不十分だ。

歴史から、表面的ではない人類の本質を探ることが必要だ。
それはつまり、歴史の繰り返しから人類の本質を理解するということだ。
そうしないと、人類は同じ失敗を何度も繰り返す。

これまで、人類は歴史から自分達が何者なのかを探り、本質を見極めようとすることでよりマシな選択肢を取ってきた。そしてそれは今後も変わらないだろう。

未来を予測することは不可能だが、 想定される無数の未来の中で人類がどのように振舞うかという予測は、きっと可能だ。

それが未来に対する準備だ。
不確実な未来の中でも、何とかより良い道を選択できるようにするための準備だ。

歴史を学ぶ意味が、ここにある。

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